この世界の平和を本気で願ってるブログ

この世界の平和を本気で願ってるブログ

働きたくない

本当に会社で働きたくない。転職して改めてそう思った。

前の会社を辞めた時は、労働時間が長すぎるとか、仕事がつまらな過ぎるとか、同じプロジェクトのSさんという悪辣な先輩が嫌すぎるとか、そういった「その職場特有の要因」が自分を苦しめているのだと考えていた。

今年の1月に転職して、今の会社で働いて9ヶ月ほどになる。1日の労働時間はきっかり8時間で、残業することは全くない。仕事は楽しいと言うほどではないが、以前の業務よりかは興味が湧く。同僚に嫌なやつは今のところ全くいない。まさに100点満点の転職だ。

しかし、それでも自分は「IT'S SO BEAUTIFUL! EVERYDAY」(モーニング娘。「春 ビューティフル エブリデイ」、2007年)とは言えない。転職したとて、自分がやることと言えば結局平日の勤務を淡々とこなして、週末遊んだりダラダラしたら、また次の週もこなすだけだ。

それで充分だ、贅沢を言うな、とおっしゃるのなら、考えてみて欲しい。一日8時間、週5日働く生活で、手元にどれくらいの時間が残るのだろうか。

計算してみよう。一週間を時間に換算すると168時間。睡眠は一日8時間取っているので、起きている時間は一週間で112時間となる。

だが、起きている時間=自由に活動できる時間ではない。人らしく生活する以上、家事労働に時間を割かなければならない。まず、朝昼晩の食事とその準備および後片付けに一日あたり3時間くらいかかるので、一週間だとそれだけで21時間にもなる。それから、衣服の洗濯と掃除も、きわめてずぼらな私ですら週あたりで3時間程度行なっている。以上の家事労働時間を合計すると24時間、ちょうど一日分となる。つまり、起きている時間のうち、真に自由に活動できる時間は112-24で88時間となる。

この88時間のうち40時間分、私は働いている。ということは、手元に48時間分しか残らない。一週間=168時間のうち、私が生命と生活を維持するためでもなく、賃金を得るためでもなく、誰かの指示を受けず、自分と自分の大切にしていることのために自由に使える時間が、48時間しか残らない。七日間のうちたったの二日間分しか残らない。それも二日間まとまった形ではなく、平日の労働を終えた後の切れ端のような数時間と、前の週の疲れを癒やし、かつ次の週に備えるにはあまりにも短い土日の二日間という形でしか残らないのである。

それでも相対的に恵まれているのは分かっている。一日8時間の労働で済む職場などこの国になかなかないことは、私の知り合いを観測するだけでも分かる。だがそれは私が贅沢なのではなく、もっと労働時間が長い人たちがより不幸なだけではないのか。

私はもう働きたくない。なぜなら人生には限りがあって、私はそれをできるだけ楽しく過ごしたいからだ。そして、会社員の仕事は圧倒的に楽しくない。楽しむ工夫をしたとて本当に楽しくなるわけではなく、せいぜいつまらなさが少々マシになるくらいだ。私はそんなことに自分の自由な時間の半分も使いたくない。

私はもっと自分の好きなことをして生きていきたい。物を読んだり、書いたり、考えたりしたりして生きていきたい。パートナーともっと楽しいことをしたい。友達にもっと会いたい。新譜をもっと聞きたい。ハロプロを追い続けていきたい。マジック・ザ・ギャザリングに最近ハマったのでそれも頑張りたい。ギターをもうちょっとちゃんと弾けるようになりたい。あわよくばバンドがしたい。だから40時間働いている暇など私にはないのだ。

私は自分の好きなことを諦めたくない。私は自分の人生を生きることを諦めたくない。そのためには週40時間働いて生活に必要なお金を手に入れている状況を変えなければならない。より少ない時間で同等のお金を手に入れる方法を考えなければならない。あるいは好きなことを収入に繋げる方法を考えなければならない。究極的には働かなくても好きなように生きていける世の中の実現に向けてできることをしなければならない。

そう言いつつも私はまだ何も出来ていない。私は嫌だ嫌だと言いつつ結局週40時間働き続けているし、48時間の自由時間でもその状況を変えるために動けていない。なので私はここで決意を表明する。私は働くことを良しとしない。働かなければ生きていけないこの社会を良しとしない。好きなことをして生きていくための方法を探していく。そしてより多くの人が好きなことをして生きていける社会の実現に向けて思考し実践する。以上のことをテーマに当面は生きていく。