この世界の平和を本気で願ってるブログ

この世界の平和を本気で願ってるブログ

働きたくない

本当に会社で働きたくない。転職して改めてそう思った。

前の会社を辞めた時は、労働時間が長すぎるとか、仕事がつまらな過ぎるとか、同じプロジェクトのSさんという悪辣な先輩が嫌すぎるとか、そういった「その職場特有の要因」が自分を苦しめているのだと考えていた。

今年の1月に転職して、今の会社で働いて9ヶ月ほどになる。1日の労働時間はきっかり8時間で、残業することは全くない。仕事は楽しいと言うほどではないが、以前の業務よりかは興味が湧く。同僚に嫌なやつは今のところ全くいない。まさに100点満点の転職だ。

しかし、それでも自分は「IT'S SO BEAUTIFUL! EVERYDAY」(モーニング娘。「春 ビューティフル エブリデイ」、2007年)とは言えない。転職したとて、自分がやることと言えば結局平日の勤務を淡々とこなして、週末遊んだりダラダラしたら、また次の週もこなすだけだ。

それで充分だ、贅沢を言うな、とおっしゃるのなら、考えてみて欲しい。一日8時間、週5日働く生活で、手元にどれくらいの時間が残るのだろうか。

計算してみよう。一週間を時間に換算すると168時間。睡眠は一日8時間取っているので、起きている時間は一週間で112時間となる。

だが、起きている時間=自由に活動できる時間ではない。人らしく生活する以上、家事労働に時間を割かなければならない。まず、朝昼晩の食事とその準備および後片付けに一日あたり3時間くらいかかるので、一週間だとそれだけで21時間にもなる。それから、衣服の洗濯と掃除も、きわめてずぼらな私ですら週あたりで3時間程度行なっている。以上の家事労働時間を合計すると24時間、ちょうど一日分となる。つまり、起きている時間のうち、真に自由に活動できる時間は112-24で88時間となる。

この88時間のうち40時間分、私は働いている。ということは、手元に48時間分しか残らない。一週間=168時間のうち、私が生命と生活を維持するためでもなく、賃金を得るためでもなく、誰かの指示を受けず、自分と自分の大切にしていることのために自由に使える時間が、48時間しか残らない。七日間のうちたったの二日間分しか残らない。それも二日間まとまった形ではなく、平日の労働を終えた後の切れ端のような数時間と、前の週の疲れを癒やし、かつ次の週に備えるにはあまりにも短い土日の二日間という形でしか残らないのである。

それでも相対的に恵まれているのは分かっている。一日8時間の労働で済む職場などこの国になかなかないことは、私の知り合いを観測するだけでも分かる。だがそれは私が贅沢なのではなく、もっと労働時間が長い人たちがより不幸なだけではないのか。

私はもう働きたくない。なぜなら人生には限りがあって、私はそれをできるだけ楽しく過ごしたいからだ。そして、会社員の仕事は圧倒的に楽しくない。楽しむ工夫をしたとて本当に楽しくなるわけではなく、せいぜいつまらなさが少々マシになるくらいだ。私はそんなことに自分の自由な時間の半分も使いたくない。

私はもっと自分の好きなことをして生きていきたい。物を読んだり、書いたり、考えたりしたりして生きていきたい。パートナーともっと楽しいことをしたい。友達にもっと会いたい。新譜をもっと聞きたい。ハロプロを追い続けていきたい。マジック・ザ・ギャザリングに最近ハマったのでそれも頑張りたい。ギターをもうちょっとちゃんと弾けるようになりたい。あわよくばバンドがしたい。だから40時間働いている暇など私にはないのだ。

私は自分の好きなことを諦めたくない。私は自分の人生を生きることを諦めたくない。そのためには週40時間働いて生活に必要なお金を手に入れている状況を変えなければならない。より少ない時間で同等のお金を手に入れる方法を考えなければならない。あるいは好きなことを収入に繋げる方法を考えなければならない。究極的には働かなくても好きなように生きていける世の中の実現に向けてできることをしなければならない。

そう言いつつも私はまだ何も出来ていない。私は嫌だ嫌だと言いつつ結局週40時間働き続けているし、48時間の自由時間でもその状況を変えるために動けていない。なので私はここで決意を表明する。私は働くことを良しとしない。働かなければ生きていけないこの社会を良しとしない。好きなことをして生きていくための方法を探していく。そしてより多くの人が好きなことをして生きていける社会の実現に向けて思考し実践する。以上のことをテーマに当面は生きていく。

 

 

高木紗友希さんのグループ活動休止に関する、アップフロントプロモーション代表取締役西口猛さんへの公開書簡

初めまして。貴事務所の所属アイドルの処遇について疑問があり、この度公開書簡という形でお問い合わせさせていただきます。

 

高木紗友希のJuice=Juice脱退の理由について、西口さんは下記のように書いています。

 

ハロー!プロジェクトのメンバーとして、自覚を欠いていると総合的に判断し、
今回の結論に至りました」

 

「自覚を欠いている」のはどういうことか、というのは具体的には書かれておりませんが、状況を鑑みるに、次のように文意が推察されます。すなわち、高木さんはハロー!プロジェクトに所属するアイドルでありながら、恋人を持ち、半同棲の状態にあったので、同メンバーとして「自覚を欠いている」という意味でしょう。

 

確かに、日本の世間一般のアイドル像から言えば、アイドルが恋愛をすることはご法度です。その観点においては、今回の西口さんの対応は常識的なものです。

 

しかし、あることが常識にかなっていることは、それが正しいことを必ずしも意味しません。むしろ、正しいことをなすためには、時には常識を疑い、それに逆らわなくてはなりません。まさに今がそのときなのではないでしょうか。

 

高木紗友希さんがJuice=Juiceを辞めるという対応は、アイドルは恋愛してはならないというルールは、果たして正しいのでしょうか?

 

そもそもアイドルが恋愛をすることのどこが問題なのでしょうか。アイドル(商品)とファン(消費者)が疑似恋愛的な関係で結ばれており、アイドルがプライベートで恋愛することによってその関係が崩れるという前提が成立するのであれば、商品の価値を維持するために事務所(店主)アイドルの恋愛を禁ずることの経済的合理性は理解できます。

 

しかし、西口さんも良くご存知だと思いますが、現実に生きているアイドルとファンの関係性はより複雑で多様です。アイドルとファンの関係性は、疑似恋愛以外にも、疑似親子、神と信者、選手と応援団等、様々な様式を取ります。アイドルのプライベートの自由恋愛によってその全てが崩壊し、ファンが去っていくかと言えば、そうはならないでしょう。

 

アイドルが恋愛することがファンに全く影響を与えないとは言いません。それを快く思わない人もいれば、喜ぶ人もいるし、全く意に介さない人もいると思います。

 

ただ、その程度のファンの反応は、別に恋愛ゴシップでなくとも、例えばハロコンの編成や、グループ新体制発表や、メンバーの髪型の変更等、アイドルの「通常業務」で起こりうる範疇のものではないでしょうか。そうであれば、殊更自由恋愛による顧客への影響を重く見て、自由恋愛を禁止するというのは、いささかナンセンスなのではないでしょうか。

 

それでも恋愛禁止のルールを維持しなければならないと西口さんが考えるのであれば、それは合理性の枠を超えた伝統的・文化的・情緒的な理由であると言わざるを得ません。夢を売るアイドルはその裏側(プライベート)を見せてはいけないという不文律。これまで恋愛禁止でやってきたアイドル達に示しがつかなくなるという先例主義。恋愛はパフォーマンスの研鑽の妨げになるという精神論。「恋愛禁止ルール」は説得的で透明性のある制度というよりは、こうした慣習的な決まり事が無言の圧力となって結晶化したものなのではないでしょうか。

 

むろん、慣習だからといって簡単に打ち捨てられるものとは思いません。しかし、西口さんはそうした慣習を守るために、高木紗友希さんのキャリアと人生を大きく狂わせています。「恋愛禁止」という決まり事と、高木紗友希さんという人間のどちらを守るべきか、答えは明白ではないでしょうか。

 

これも西口さんはよくご存知のはずだと思いますが、高木紗友希さんは現役ハロプロメンバーの中でもトップレベルのキャリアの長さを誇ります。ハロプロエッグ時代から弛まぬ努力を積み重ね、錚々たる面々の中から研修生ユニットのメンバー入りを勝ち取り、Juice=Juiceとしてデビューしてからもレベルアップを続け、今や押しも押されぬ実力者としてハロー!プロジェクトに君臨しています。高木さんの圧倒的なスキルとパフォーマンス、それを作り上げてきた努力、そして何よりその努力に捧げた11年という年月が、彼女のアイドルという職業への「自覚」を物語っています。

 

そんな高木さんのこれまでを一蹴し、恋愛禁止ルールの名の下に「自覚がない」と断罪することは、彼女の生き様に対する侮辱です。同時にそれは過去の、現在の、そして未来のハロプロメンバーのパフォーマンスへの思いに対する侮辱です。なぜなら、それは所属アイドルに対して、「この先どんなに優れたパフォーマーになろうが、恋愛をした瞬間に君たちは無価値になる」と宣言していることに他ならないからです。

 

私はハロー!プロジェクトのメンバーのパフォーマンスが大好きです。彼女たちが歌う歌が大好きです。アイドルという多くの枷を負わされた存在でありながら、自由を称揚し、力強く歌い踊る姿が大好きです。

 

私はアイドルという産業に多くの疑問を抱きつつも、所属アイドルを応援したいという気持ちと、「ハロプロなら所属アイドルを大切に扱っているだろう」という期待から、アップフロントプロモーションの活動を見守ってきました。

 

しかし、恋愛禁止ルールを理由に、高木さんを突然グループから脱退させるという処分は、アップフロントに対する私の信頼を不可逆的に損なうものです。むしろ私はこの処分にこそ裏切られたと感じています。同様に思っているハロプロファンも少なくないのではないか、と定かではないものの思っています。

 

今回の件に関して、「守るべきは高木個人よりもハロー全体」という声を見かけました。西口さんももしかするとこのような考えの下で処分を下されたのかもしれません。しかし一ファンとして申し上げるならば、私は「メンバー一人一人を大切にするハロー!プロジェクト」を応援していたのであり、今回の処分はその哲学と真っ向から反するものとしか思えません。

 

ハロプロメンバーが大好きなファンのためを思うのであれば。ハロプロを成立させているメンバーの努力を思うのであれば。そして何よりハロプロに半生を捧げた高木紗友希さんを思うのであれば。今回の謝罪文を撤回してください。また、高木さん本人がそれを望むのであれば、Juice=Juiceのメンバーとして活動を継続することを認めてください。そして、時代遅れで誰も幸せにしない恋愛禁止ルールを撤廃してください。

 

 

AI美空ひばりの次は尾崎ロボ彦に香水歌わせるしかないでしょ

今年の紅白がめちゃくちゃつまんなかったのはずばり去年のAI美空ひばりゾンビ召喚コーナーが無かったからだと思います。あのコーナーは毎年続いても良いくらい面白かったですが、今年はさすがに倫理的にアウトだと判断されたんですかね(それでやめるくらいなら普通に最初からやめとけよって思いますよね〜)。

 

美空ひばりを「復活」させたのは確かに本人ひいてはあらゆる死者に対する冒涜です。しかしエンタメ的にもっと許されないのはその冒涜を「美空ひばりを偲んでほにゃほにゃ」とか「AIの可能性をほにゃほにゃ」とかいうクソどうでもいい理由で正当化して美談にしようとしたところです。

 

倫理的に救いようのない行為を正当化しようとしたところで無駄です。それでもどうしてもやるというのならせめて徹底的に露悪的に、悪趣味の限りを尽くして行うべきだったのです 。せっかく美空ひばりを意のままに操作できるのであれば、本人の曲だけじゃなくていろんな人の歌を歌わせるしかないでしょう。一昨年の紅白で言えば、「シンクロニシティ」「紅蓮花」「花火」「純烈のハッピーバースデー」とか見たかったなあと思います。

 

しかし毎年美空ひばりに早すぎた埋葬使うのはもったいないですよね。せっかく墓地リソースが沢山あるならもっといろんなモンスターを蘇生すべきです。私がNHKのえらい人になって次のアンデッドボカロ枠を選定できるなら、迷わずこの人にするだろうという人が一人います。そう、尾崎紀世彦です。

 

 

正直私はこの「また逢う日まで」しか尾崎さんの曲は知りません。でもこれだけで上手すぎて笑えてきますね。歌詞の悲しさをものともしない圧倒的な声量が爽やかさすら感じさせます。これを蘇らせずしてどうしろというのでしょう。

 

また、尾崎紀世彦美空ひばりも歌うま超人ですが、しかし前者には後者にない長所があります。それは生前他の人のいろんな曲をカバーしていて、しかもどれもめちゃくちゃ面白いという点です。

 

私が一番好きなのは、少し前にTikTokでちょっとバズったこちらの映像です。

 

 

やばすぎませんか?初っ端からめちゃくちゃ面白いですよね。しかも何度聞いても新しい発見があります。私は最近「陽の当たる坂道を昇るその前に〜」の最後の「に〜」にハマってます。

 

他にもこんな曲もカバーしてたりします。

 

 

「幼い微熱の〜」の声量が微熱どころではなくてツボです。しかし中山秀征がウザいのでマイナス2億点です。

 

あと個人的にウケたのがこれです。

 

 

そもそも原曲がウケるのでこの声で歌われたら面白いに決まっています。マルシアさんも昭和のチープなエロを表現していていいですね。

 

このように、生前の尾崎紀世彦さんは割と節操なくいろんな曲をカバーしていて、どれも見事に自分の曲にしてしまっています。尾崎さんは惜しくも2012年に亡くなってしまいましたが、その声は墓地に置いておくにはあまりにも勿体なさすぎます。

 

AI美空ひばりで善悪の境界線を踏み越えた今のNHKであれば、尾崎ロボ彦を操って近年のヒット曲を片っ端から蹂躙できるはずです。そして2020年最大のヒット曲であるあの曲こそ、尾崎紀世彦さんにぜひともカバーしてほしかったと思いませんか???

 

 

もうこうなったら今年の紅白でも良いです。NHKさん、お願いです。尾崎ロボ彦に香水を歌わせてください。それは確かに死者への冒涜です。しかし、生きている私たちの糧として、死者を消費するような表象は、何もAI美空ひばりに始まったことではなく、日本、ひいてはあらゆる近代国家のお家芸です。ならばせめて、国民統合と、国家の無謬性を保持するための歴史の改竄というクソどうでもいい「大義」のためではなく、ただ単に尾崎紀世彦が香水を歌うのを聴きたいという欲望を満たすために、その技術と資源を動員してください。

 

 

 

 

 

別に今の日本のポップスを好きになることはないけどそれは「香水」のせいではないよ

いい曲とは何でしょうか。落合博満によれば、バッティングにダメなフォームはあっても正解のフォームはないそうです。曲にも似たようなことが言えるのではないでしょうか。

 

ポップスには、「この型を押さえておけば名曲になる」というものは存在しないように思います。だけど同時に「ああこの曲はダメだ」と一瞬にして思えてしまうようなメロディラインや歌詞、アレンジは確かに存在します。例えば、

 

ドラムがドッチー

 

緑黄色社会 - Mela

youtu.be

 

メロディーが陳腐

 

Mrs. GREEN APPLE - 青と夏

youtu.be

 

歌詞が多い上にイタい

 

My Hair Is Bad - 真赤

youtu.be

 

などが比較的記憶に新しく、かつそれぞれのダメ類型の代表作と言えるかなと思います。

 

以上のことから、いい曲を作ろうと思ったらとりあえず上のような落とし穴に引っかからないことが絶対条件になります。

 

そのような見方でいくと、瑛人の「香水」って実はまあまあいい曲なのではないでしょうか、という話です。

 

瑛人 - 香水

youtu.be

 

「香水」がどうやってダメな曲の落とし穴を回避しているか、順に見ていきましょう。

 

落とし穴1「ドラムがドッチー」

ドラムを入れないことで回避

 

そもそもバッキングをアコギ一本にするならドッチーの入り込む余地はありません。単純なことではありますが、この時点であまりにも多くの日本のバンドよりもセンスが良いと言えます。潔い選択です。

 

落とし穴2「メロディーが陳腐」

陳腐すぎて逆に王道感が出てるのでセーフ

 

陳腐なメロディーラインには、言い換えれば使い古されてきたという実績があります。そしてそれはそのメロディーに人を惹きつける力があるということの証左です。つまり陳腐と王道は紙一重なのです。瑛人は変にオリジナリティを出そうとせず、陳腐に徹することで「香水」のメロディーラインを王道感のあるものに仕上げています。

 

落とし穴3:歌詞が多い上にイタい

特に大したことを言わないことで回避

 

イタさの主な要因は、だいたい「ちょっといいこと言ってやろう」という背伸びにあります。「香水」にはそうした背伸びはありません。「香水」で語られるのはクズ男のしょうもない感傷、ただそれだけです。

 

この曲の歌詞の強みは、まさにこのクズ男という主題がブレないという点にあります。クズ男の感傷から何らかの普遍的なテーゼを無理やり引っ張り出したり、逆に瑛人個人の世界観や恋愛観を独白したりするわけでもなく、ただただ自分の不誠実さと劣情を人の香水のせいにするクズの話をするところが、「香水」が広く受け入れられている所以です。

 

以上、瑛人が「香水」を作る上で実は多くのアーティストがハマりがちな落とし穴を巧みにかわしていることを見てきました。この点を持って、「香水」はダメな曲で溢れている現代日本のポップスで相対的に「いい曲」と言えるでしょう。

 

最後に、「香水」が「いい曲」であるということが日本のポピュラー音楽の現在にとって何を意味するのか、少し考察します。

 

「香水」ブームが世の中的にピークであった今年の夏頃に、「「香水」は単純で工夫がないのでダメだ」という旨のツイートがTwitterで少し話題になりました。ここまで読んでいただいたなら分かると思いますが、この批判は見事なまでに的外れであると言わざるを得ません。

 

確かに「香水」はメロディーもコードもアレンジも歌詞もシンプルで、技巧や独自性は特にありません。しかし同時に「香水」は上で見てきたように世で流行っている他のバンドの曲よりもはるかにダサくありません。むしろ、無駄でセンスのない工夫をしている他のバンドの曲と違って、自分のセンスと力量をわきまえ、単純であることによってそれなりの曲に仕上がっています。

 

「香水」は名曲などではありません。葬式で「香水」を流したいとか言ってる人がいたら人類学の研究対象にすべきです。しかし「香水」は決して駄曲でもありません。100点満点でいうなら65点くらいの曲です。人口1億2000万人の日本という国で、世界でも有数のポピュラー音楽市場において、この65点くらいの曲を遥かに下回るようなクオリティの曲が溢れているという事実は、何よりもこの国の衰退を象徴するものです。

 

日本のポピュラー音楽は岐路に立たされています。よりドッチーに、よりメロを陳腐に、より収まりの悪くてイタい歌詞に、という方向に進むのか、それとも「香水」の教訓を活かし、方向性を間違えた工夫や技巧を廃し、今一度基礎からポピュラー音楽を捉え直すのか。どちらに進むのかは分かりません。ただ、音楽がそれなりに好きな人間として、世の中に「Mela!」のような曲が増えるより、「香水」のような曲が増えたほうがよっぽど良いだろう、とは確信を持って言うことができます。

 

ちなみに、劔樹人さんの二番煎じにはなりますが、メロン記念日の「香水」はガチの名曲です。

 

 メロン記念日 - 香水

youtu.be

 

労働からの逃走/労働に対する闘争

最近仕事しなさすぎてやばいです。リモート勤務のありとあらゆる誘惑に負けています。ずっと怠けてるわけじゃないんですが、良くて一日のうち三時間くらいしかまじめに働いてないですね。残りはアプリで麻雀やったりポケモン剣盾のインターネット大会に向けてパーティ調整したりエーペックスレジェンズですぐ死んだりしてます。さすがに私でもこのままでは良くないと思ってます。なので少しでもこの状況を打破すべく一ヶ月半ぶりくらいにブログを書いています。

 

出だしでやばいとか言いましたが、お察しの通り私は今自分が全然仕事してないことにあまり危機感を持ってはいません。宇宙の歴史からみれば私たち人間の生涯はあまりにも短く、その中の時間を仕事に使ってもボーマンダの素早さ調整に使っても正直何がどうなるというわけではありません。また人類史的な視点から見ても私の(そしておそらくはあなたの)従事している仕事は、基本的人権の人類全体への敷衍や気候変動への対策といった実存的危機の解決に何ら寄与するものではありません。

 

強いて言えば私とみなさんの仕事は「今ある世の中を回していく」ことに貢献しているという点では一定の意義があるかもしれません。確かに今ある世の中が存在しうる世の中の中で最も悪いものかと言われれば違うと思いますし(現に私はこうして仕事もそこそこにサンダーの性格はおくびょうがいいかひかえめがいいかなんて考えながらまあまあいい生活を送れていますしね)、それが崩壊しないように維持していくことは確かに大事です。

 

でもじゃあ実際のところ誰が世の中回してんねんと問われれば、それは決して私と私の同業者ではないです。まじで世のインフラを担ってくれてるのは、ゴミ収集車の人だったり、農家さんだったり、スーパーのレジ係さんだったり、コンビニの店員さんだったり、要は昨今のコロナ禍でエッセンシャルワーカーとかいってもてはやされた割に特に何の援助も立場の向上も得られなかった方々です。私とか私みたいな人たちが回しているのは、せいぜい企業がお金をあるところから別のところへと動かして泡銭を得るという仕組みだけです。

 

その仕組みが巡り巡って世の中を回してんだよという見方をする人もいると思います。でも実際それで世の中良くなってんのかというと、あんまり良くなってないんじゃないですかね。世界でも日本でも貧富の差は縮まらないし、日々の暮らしが良くなってるという実感も特にありません。あと自然科学に明るい人によればもうちょっとで人類ここ住めなくなるらしいじゃないですか。自分たちの活動のせいで。そして元を辿ればそれはどんどん資源使ってどんどんもの作ってどんどん売って稼ぐぞーという仕組みのせいですよね。そんな仕組みを続けることに意味など感じませんし、それを仕事を通して回すことに誇りなど持てません。

 

しかしながら私は一人でこの仕組みをぶっ壊せるほど根性もないし、仲間を率いて革命を起こせるほどカリスマもありません。そして人間である以上ものを食べないと死にますし、現状金がないと食べ物を手に入れられませんし、働かないと金がなくなるので仕事はしておきたいです。

 

ならばやることは一つです。形式的には会社員やりながら、ひたすらサボる。これしかありません。

 

サボることは社会的に(すなわち社会的なるものが企業的なるものと限りなく重複している今の日本においては企業的に)悪とされています。だからこそ人類を愛し世界の安寧を願う人はサボるべきなのです。資本とその法人格である企業の世界に対する際限ない侵食に対して、私でもあなたでも誰でも一人でできる確実な抵抗が、サボるという行為なのです。

 

サボるという言葉はフランス語のsabotageから由来しており、これは元々労働争議を指すための言葉でした。そして、争議の際に労働者たちがストライキを実行して仕事を放棄したり、あるいは業務を意図的に間違えて会社をめちゃくちゃにしたりする様子から、英語のsabotage、すなわち破壊的な工作という言葉が生まれました。このように、サボるという行為は労働からの逃走であると同時に、その語源からして闘争的な性格を持つのです。

 

むろんsabotageとサボることには距離があります。sabotageは明確な政治的目的のために(ほとんどの場合は)組織的な計画に基づいて行われますが、サボるのは自分のために一人で勝手にやるものです。しかし資本に対する抵抗という意味では両者は確かに同様の性格を持ちます。そしてストライキ等を通して労働条件が向上するのは長い時間がかかりますが、サボってしまえばワークライフバランスは即座に改善されます。資本に対抗する手段として、仕事をサボることほど実践的な行為はないでしょう。

 

何より、サボることによって手に入れた時間(この表現もおかしいですよね、元々自分の時間を会社に売っていただけなのに)は自分だけのもので、自分の好きなように使うことができます。自分の人生を楽しむために使うことができます。

 

むろん先述のように膨大な宇宙の歴史から見れば塵にも満たない自分の人生ですが、それでもせっかく生まれてきたからには楽しいことをたくさんしたいですよね。死ぬ前に見たいYouTubeの動画、読みたい漫画、聴きたい曲。どれも数えきれません。それを毎日9時-17時の間我慢しながら生きるか、それとも仕事に使う時間を削るか。これまでの話を踏まえれば、答えは明らかではないでしょうか。

 

サボることは労働からの逃走であるとともに労働に対する闘争です。それは資本への抵抗である以上人類史的に正しい方向への一歩であるとともに、何より自分自身のためになる行為です。この文章を読んで、明日からサボろうと思えた人が一人でもいたならば、私はとても幸せです。

 

そして、もしも「じゃあ仕事サボって何するの?」と聞かれたら、私はこう答えます。

 

ハロプロ聴こうよ。

 

https://youtu.be/njCe2i91kWo

ハロプロの中で一番イニDで流れてても違和感ない曲を探せ!!!!

頭文字D」の音楽って最高なんですよ*1。これは単なる主観ではなくて、この主張を裏付ける決定的なデータがあるんです。

というのも、一般的に「「「「「「「良い」」」」」」」とされている事柄は、wikipediaで調べるとめちゃくちゃ情報量が多いという法則が存在します。一例を挙げると、「南原清隆」のページは芸能人のエントリとして平均程度の長さ(本文6000~6500字程度、脚注4つ)に止まっているのに対し、「内村光良」は本文が30000字超、脚注が注釈と出典合わせて89個を擁する大長編記事となっています。ちなみに「南原清隆」の記事の一番面白いところは、セクション2「人物」の12行目「子供の頃、カニの集団が車に轢かれていく様を見て以来、カニが苦手。しかし頬骨の出張った顔がカニに似ていると言われ、」のくだりです。

そんなわけで、「頭文字D」のWikipedia記事を見てみましょう。

ja.wikipedia.org

一応上のリンクを踏まなかった不義理な人たちのために書いておくと、頭文字Dのエントリは全体で大体30000字程度、つまり5南原くらいあります。しかし本当に特筆すべきなのは、その中で頭文字Dのアニメ作品で使用されている音楽についての情報が顕微鏡レベルのような常軌を逸する詳細さで記載されているということです。なんと、セクション6「アニメーション」第6節「音楽」だけに約10000字、つまりおよそ1.6南原もの情報量が詰め込まれています。記事の構成がいびつすぎて目次見ただけで笑ってしまいます。

f:id:repeater1990:20200914173532p:plain

史上最高の目次を見よ(拡大推奨)

では、Wikipediaをここまで狂わせたイニDの音楽とは一体どんなものなのでしょうか。僭越ながら代表的な曲をいくつかピックアップしてみました。

Dave Rodgers/Deja Vu

www.youtube.com

Max Coveri/Running in the '90s

www.youtube.com

Manuel/Gas Gas Gas

www.youtube.com

Niko/Night of Fire*2

www.youtube.com

いかがでしょうか。高BPMで反復的なリズム、印象的なシンセリフ、音色もフレーズもダサすぎるギター、何言ってんだか分かんないボーカルといった、これらの曲を結ぶ共通の要素は、どれも夜の峠道で車を高速で走らせるという遊びのチープなスリルと空虚さとこの上なくマッチしており、まるでこのアニメ作品のためにこれらの楽曲が書き下ろされたかのような錯覚さえ呼び起こさせます。小松未歩の曲が90年代後半〜00年代前半の名探偵コナンとアニメファンの記憶の中で分かち難く結ばれているのと同様に、イニDのファンにとってはこの小脳に直接シャブをぶち込んでいるかのような楽曲群こそがアニメ「頭文字D」を「頭文字D」たらしめているのです*3

「もっとこんな感じの曲が聞きたい!」と思ったそこのあなたに朗報があります。これらの曲のような頭おかしい楽曲群には「ユーロビートEurobeat)」というジャンル名が与えられており、心ゆくまで掘ることができるようになっております。ぶっちゃけみんな大体同じ曲なので掘る意味はあんまりないんですけど、、、、

en.wikipedia.org

ユーロビートの英語版Wikipediaとのその関連リンクを飛んでいくといろいろと面白い発見があります*4例えば、ジャニオタの方であれば上の楽曲群を聞いて「これ初期V6ぽいな」と思われたと思いますが、それもそのはず、Music For The PeopleTake Me HigherといったV6の代表曲は、いずれもユーロビートの本場イタリアのアーティストの楽曲のカバーであることがわかります*5。また、90年代〜00年代前半に一時代を築いたavex traxもいち早くユーロビートを受容し、中でも浜崎あゆみは自身の代表曲のユーロビート風リミックスのみで構成されたベストアルバム「Super Eurobeat Presents Ayu-ro Mix」をなんとVol.1から3までリリースしていることも初めて知りました。これらのことから得られる示唆は、つまり、ユーロビート頭文字Dのアニメ制作スタッフがたまたま目をつけて使用したと言うよりは、確実に20世紀末前後の日本のポピュラー音楽の一角を担っており、その時期に制作された頭文字Dというアニメ作品にうってつけのサウンドだったから使用されたのである、ということだと思います。

ところで90年代後半と言えば、つんくシャ乱Qからモーニング娘。のプロデューサーへと活動の軸足を移した時期でもあります。つんくプロデュースの楽曲は、有名どころのモーニング娘。LOVEマシーン」や「ザ☆ピ〜ス」、「ハッピーサマーウェディング」のように、70年代〜80年代のアメリカのディスコ調というイメージが強いですが、彼の真骨頂は(ハロオタは知っての通り)様々なジャンルに節操なく手を出しつつクセのあるJ-POPにまとめあげる器用さとバランス感覚にあります。ユーロビートというジャンルもまた、つんくのいくつかの作品の重要なインスピレーションとなっています。ということでようやく「ハロプロの中で一番イニDで流れてても違和感ない曲を探せ」という本題に入ります。何故探すのかはあんまり考えてませんでした。

松浦亜弥/GOOD BYE夏男

www.youtube.com

<良い点>

  • 曲が良い
  • 歌がめちゃくちゃうまい
  • 転調がめちゃめちゃ多い
  • ギターソロがエモい

<イニDにそぐわない点>

  • 曲が良すぎる
  • 歌がめちゃくちゃうますぎる
  • 転調がめちゃめちゃ多すぎる
  • ギターソロがエモすぎる

あややつんくプロデュースのアーティストとして空前絶後のスキルを誇るアーティストなわけですが、やはりつんくもその圧倒的な才能を前にして、持てる力を全て投じてプロデュースする他なかったのでしょうか、楽曲のクオリティがとんでもないことになってしまっています。こんな曲がイニDで流れてきたら映像そっちのけで聴き入ってしまいます。曲単体で見ればあややの圧勝なのですが、アニメの劇中歌としてはやはりDeja VuやGas Gas Gasの方が適切でしょう。

ではあやや以外のアーティストではどうでしょうか?

スマイレージ/有頂天LOVE

www.youtube.com

<良い点>

  • 曲が良い
  • 歌がめちゃくちゃかわいい

<イニDにそぐわない点>

  • 曲が良すぎる
  • 歌がめちゃくちゃかわいすぎる
  • 転調がない
  • ギターソロがない

2009年に結成、その翌年にメジャーデビューを果たしたスマイレージは、後のアンジュルム及びハロープロジェクトのリーダーにして現ソロアーティスト兼美術史専攻の大学院生兼爆イケフェミニストである和田彩花と、スマイレージアンジュルム在籍中はTwitterで絶大なプレゼンスを発揮し、卒業後は作詞活動を経て現在は大森靖子率いるアウトローアイドルグループZOCの巫まろとして危険な魅力を振りまき続けている福田花音の両氏が共に在籍していたというだけでも特筆に値します。その上で、当時はそこに清純派アイドルとしての天賦の才に恵まれまくった前田憂佳という絶対的エースと、中学生とは思えない歌唱力で、2011年のハロコンではハロプロ屈指の難曲であるBerryz工房/VERY BEAUTYを見事に歌いこなした稀代の才能である小川紗季という四人組だったと言えば、初期スマイレージの凄さは十分にお分かりいただけるかと思います。

そんなわけで、スマイレージにとって小川紗季卒業前最後のシングルとなる「有頂天LOVE」も、歌い手のスキルとつんくの気合いが合わさって、車が早く走るだけのアニメのBGMにするにはもったいなさすぎる出来になってしまっています。残念!

ここまで2戦2敗(?)のハロプロ軍ですが、まだ希望はあります。ハロオタの読者の皆さんにとっては黒船来航よりも常識的な歴史でしょうが、スマイレージ小川紗季前田憂佳の相次ぐ卒業の後、しばらく売れない時代が訪れます。その時代の只中にも、つんくスマイレージユーロビートの曲を提供しています。秋元康軍団がヒットチャートを独占し、スマイレージのグループとしての勢いも最低調の頃の曲であれば、イニDで流れてもおかしくないような出来になっている可能性があるのではないでしょうか?

スマイレージ/大人の途中

www.youtube.com

<良い点>

  • 曲が良い
  • 歌がめちゃくちゃかわいい
  • 間奏がエモい
  • 間奏明けの落ちサビがエモい
  • 落ちサビのあとの転調が良い

<イニDにそぐわない点>

  • 曲が良すぎる
  • 歌がめちゃくちゃかわいすぎる
  • 間奏がエモすぎる
  • 間奏明けの落ちサビがエモすぎる
  • 落ちサビのあとの転調が良すぎる

やっぱりダメでした、、、

しかし、ハロプロ軍には最後の秘策があります。ハロプロには研修生制度があり、研修生も曲をもらえることがあります。つんくも実際にハロプロ研修生に曲を提供しています。メジャーデビューどころか、アイドルグループとして正式にデビューしてすらいないアイドルの卵に提供するような曲であれば、つんくも多少手を抜いて作っているのではないでしょうか?結果として、イニDで流れるに足るダサさのある曲に仕上がっているのではないでしょうか?

ハロプロ研修生/彼女になりたいっ!!!

www.youtube.com

<良い点>

  • 曲が良い
  • 歌がめちゃくちゃかわいい

<イニDにそぐわない点>

  • 曲が良すぎる
  • 歌がめちゃくちゃかわいすぎる

というわけで、ハロプロ研修生のファーストシングルである「彼女になりたいっ!!!」も、イニDの楽曲群には遠く及ばない完成度になってしまいました。というか、そもそも研修生向けの曲であればクオリティが落ちるだろうという安易な発想をしている時点でハロオタの皆様から叩かれても文句の一つも言えません。ハロプロ研修生は、「研修生」ではあれど日本が誇るトップレベルのパフォーマンス集団の研修生なのであって、その全員が年齢離れしたスキルと目がくらむようなポテンシャルの持ち主です。アップフロントグループにとって彼女たちは一人一人が大切な人間であり、原石であり、丁寧に育て上げるべき人材です。そんな研修生に向けて、つんくが適当な曲を書くはずなどないのです*6

以上、イニDのユーロビートハロプロユーロビートを聴き比べてきましたが、ハロオタというバイアス抜きにしても、やはり後者の圧勝と言えるのではないでしょうか。結論として、ハロ曲は良すぎるので、いくらユーロビートのお約束を踏襲した楽曲と言えども、イニDの文脈に置くと浮いてしまいます。よって、ハロプロの曲の中にイニDで流れてても違和感がない曲はありません。どうもありがとうございました。

最後に、このブログはWikipediaなくしては到底書くことはできませんでした。お金に余裕のある方はどうか寄付をご検討ください。ハロプロとともに、Wikipediaもよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

*1:なお作品が好きな方には大変申し訳ないのですが本編の話については私は全く知りません。ご承知おきください。

*2:もしかしたらこの曲だけタイトルからして聞き覚えがあるかもしれませんが、そうです、長州小力あれです。

*3:まあ私はファンではないので知らないんですけどね。しかし実際に「頭文字D」の英語版が放映された際、供給会社Tokyopopの判断で劇中歌の差し替えが行われた際には、海外ファンから多くの批判が寄せられたと英語版Wikipediaには記載があります。

*4:音楽関連の記事に関しては、特定のアーティストに関するものであれジャンルについてのものであれ、大体は日本語版より英語版Wikipediaの方がクオリティが高いです。英語版のWikipediaはまじで明らかに主観的な記載が少なく、記載の裏付けが取れており、また関連リンク・参考文献等も充実しています。日本語版Wikipediaも早くこのレベルに早く追いついて欲しいので、皆さん是非寄付にご協力よろしくお願いします。Wikipediaは絶対に広告なしで成り立たせるべきサービスです。

*5:Take Me Higherを書いたGiancarlo Pasquiniという方は自分で曲を出すときはDave Rodgersという名義を使用するそうで、要するにこの記事で紹介したDeja VuTake Me Higherを書いた人は同一人物と言うことになります。

*6:なお、この記事では紙幅と自分の体力の関係で「彼女になりたいっ!!!」を手放しで褒めまくってしまっていますが、この楽曲はテーマ・誰が/誰に/どういう場でという諸々の文脈込みで非常にまずいと思っています。その話と、それでもこの曲が良いと思ってしまうということをどう考えたら良いんだろうという話はまた別に書こうと思います。

休職のすゝめと、スマイレージ「〇〇 がんばらなくてもええねんで!!」(2010年)の話

最近みなさんにおすすめしたいことは休職です。いや多分情報強者の方々はもうしてるんでしょうけど特に私くらいの年齢・ポジションの方(20代後半、正社員、入社3~5年目)で特に出世欲のない人はマジで一回やった方がいいです(*1)。

休職の何が良いかというと、まずめちゃめちゃ暇になります。暇ってマジで最高ですよね。もちろんゲームやら音楽やら映画やら読書やら好きなことをできるって言うのもそうなんですけど、そもそもやることがないという状態そのものが最高だと思います。真っ白な人生を、してもしなくても良いようなことばかりして過ごしたくはないですか皆さん???

仕事してる時は業後とか土日に楽しいことをしなければいけない、何もないとくそつまらないなと私も思っていたのですが、仕事をしないでぼーっと毎日を過ごしていると、これが意外とイケるんです。これってつまり、仕事をしていることによって、仕事以外の時間が労働力を再生産する時間に成り下がっていたのが、仕事が日々から取り除かれたことによって、時間が所与の目的から解放され、真に自由に使えることになったことの証左ですよね?つまり仕事さえなくなれば人生万々歳ですよね?

とはいえ仕事やめるのはハードル高いです。そこで休職です(*2)。職場にもよると思いますが、最長で6ヶ月くらいは休めて、しかも給料の何割か(場合によっては全額)もらえます。しかも通院と服薬をちゃんとしてれば職場に復帰できます。

結局職場に復帰するんじゃん、と思ったかもしれませんが、休職のメリットはちょうど遊戯王残存効果のように復帰後も持続します(*3)。簡単に言うと「だるいことバリア」 が発動して、いやなプロジェクトやら業務から外れることができて、残業制限もついて、めちゃめちゃ快適な労働環境を手に入れることができます。←今ココ

そんなわけで、このブログは上述の経緯と、コロナ禍による1)リモートワークへの移行と2)仕事のなさによって、完全に暇を持て余したので始めました。できるだけ面白いことを書きたいと思っているのでよろしくお願いします。

なお、なんか縛りは設けた方が逆にブログ続けやすいのかなって思うので毎回ハロプロの話しようと思います。ハロプロで休職と言えばやっぱスマイレージの「〇〇 がんばらなくてもええねんで!!」(2010年)ですね。

 

www.youtube.com

 

この曲は大きく分けて3通りに解釈ができると思ってます。1つ目は単純に、疲れまくってる人に、がんばらなくてもええねんで、休んでええねんでって言ってる、という解釈です。これはまあ読んで字の如くですが、疲れた身には染み入ります。また、こういう手の曲には珍しく、曲調もアップビートのスカで、歌い方も福田花音女史の「いぇんいぇんいぇんいぇん」のように粘っこくリズムを刻んでいるので、全然湿っぽくならないのが良いですよね。

2つ目は、タイトルの「〇〇」のところに日本そのものを置いて、いろいろ言われてるけど気にせんでええで、そのままでええでって言ってる、という解釈です。この解釈の中心的な根拠になるのは、1番の「自分だけ最悪じゃないねんで/後悔ばっかしてても進まんで/努力は皆認めてまんで/今のまんまでLET'S GO」という歌詞です。

高度経済成長期、バブル期を経て失われた何十年かの真っ只中にいる今、悲観論と日本スゴイ論がないまぜになっている、統失患者の脳内のような日本の言論状況の中で、いわゆる左派と右派はどちらも日本の現状を高く評価していないという点で一致しているように見えます。かような状況にあって、つんくが「そんなことしてても日本はよくならない、みんな今の日本をもうちょっと好きになって一緒に生きて行こう」という一見ゆるーいナショナリズムアイドルソングに仮託して発信するのは、つんくナショナリストとしての側面を考えれば自然であると考えます。

ただし、こうした一見穏健なナショナリズムも1)ネーションとしての日本と政体としての日本を同一視し、2)どちらへの批判も封じ込め、その帰結として3)ネーションにおけるマジョリティと、日本政治における保守勢力の立場を強化する効果を持つと言う点で、より明示的に排外主義的で歴史修正主義的なナショナリズムと同様に拒絶・批判されるべきです。つんくの楽曲や詞のファンであるからこそ、彼のこうした側面は注視していきたいと思います。(*4)

それとは対照的に、私がまだ救いようがあると思うのは3つ目の解釈、すなわち、「〇〇がんばらなくてもええねんで!!」が脱成長(より正確には、脱GDP至上主義)を訴えているというものです。この解釈の根拠になるのは、ラストのサビの歌詞、「がんばり過ぎちゃったねお兄さん/がんばり過ぎちゃったねお姉さん/美味しいもんでも食べましょう!/日本を素敵なスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルで飾ろうよ!」です。

頑張り過ぎちゃった日本のお兄さんお姉さんに対して、つんく(というかあやちょゆううかりんさきちぃまろ)は「労働生産性を高めよう」とか「諦めずに中国を追い抜き返そう」ではなく、「美味しいもんでも食べましょう!」声をかけています。これは経済力のデカさを争う競争から降りて、これまでの経済的な発展の結果として手に入れたものをもっと楽しもうという呼びかけなわけです。裏を返せば、経済成長それ自体が目的化していて、国民の幸せが置き去りにされてないか?という指摘にも読めます。

経済成長の自己目的化の滑稽さについてはつんくに同意しますが、その他の歌詞では結構トンデモな現状認識が伺えます(1番サビの「愛情に飢えてる私たち」とか、2番サビの「ぬくもりに飢えてる私たち」とか)。また、1番サビの最後で「老後がわからん時代でも」と言っておきながら、「みんなで素敵なスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルでいきましょう!」と続けるのはまじで理不尽すぎて笑えてきますね。

つんくは基本ハイパーポジティブ人間なので、このように日本の問題は愛情とかぬくもりとかスマイルで解決できると思っています(あるいは、少なくともこの当時はそう思っていました)。この信念は素敵なものですが間違っています。現実に生きている私たちは愛情ではなく福祉に飢えています。また老後がわからん時代に必要なのもスマイルではなく福祉です。富の再分配をより公正に行うことでしか日本はより良くなりません。

経済成長はそれ自体が絶対的な善なのではなく、日本に生きる全ての人々の健康で文化的な最低限度の生活が実質的に保障されるために必要である限りにおいてのみ肯定されます。GDPの大きさで世界第3位をキープしたり2位を必死に目指したりすることに意味はなく、この国で生活する人々の福利厚生がちゃんと担保されるのであれば、人口の自然な減少に応じて経済の規模が縮小するのは問題ありません。そう言う意味で「がんばらなくてもええねんで!!」という社会的な合意を形成することが日本の左派の喫緊の課題と言えるのではないでしょうか。

 

脚注

(*1)契約社員やパート・アルバイトなどの非正規社員の方も休職制度を利用できるのかどうか気になったので調べてみたところ、このリンクが結構簡潔でよかったです。また、残念ながら、オートバックスでバイトをしていた男性が同僚の正社員から嫌がらせを受けて不安障害を発症したにもかかわらず、休職を認められず解雇されたという事例が近年あったそうです。この男性は解雇を不当として2019年に裁判を起こしており、結果が待たれるところですが、非正規社員にも休職規定を適用すべきとする判決が下されることを願って止みません。

(*2)今更な話ですが、当然休職はしたいといってすぐできるというものではありません。皆さんの会社の人事規定にもよると思いますが、大体は心身の健康が損なわれることにより業務の遂行が困難と認められなければ休職はできません。私の場合はいろいろあってうつ状態になっちゃったのでお医者さんに診断書出してもらって休職発動、カードを一枚伏せて2019年終了しました。なお今はめっちゃ元気です。

(*3)そもそも休職できるかどうかも雇用形態によりますが、休職後の扱いについても会社によってはこの限りではありません。くそな会社にいる人は復職後に嫌がらせを受ける可能性も否定できないので、何かあった時は休職するのか、それとも思い切って逃げるのか、どちらがよりよいムーブなのかをよく考えておくのが良いかと思います。そもそも労働がくそなので早く誰も仕事をしなくて良い世界を作りたいと思っていますが、当分はそうならなさそうなので少なくともすべての働く人が今より多くの権利を実質的に行使できるようにしていきたいですね。

(*4)こう書くとつんくのアンチっぽく聞こえてしまうかもしれませんが、私はつんくの楽曲や詞については全体として肯定的な評価をしていて、かつ彼のプロデューサーとしての采配や姿勢についても知りうる限りにおいては好意的な印象を持っています。