この世界の平和を本気で願ってるブログ

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労働からの逃走/労働に対する闘争

最近仕事しなさすぎてやばいです。リモート勤務のありとあらゆる誘惑に負けています。ずっと怠けてるわけじゃないんですが、良くて一日のうち三時間くらいしかまじめに働いてないですね。残りはアプリで麻雀やったりポケモン剣盾のインターネット大会に向けてパーティ調整したりエーペックスレジェンズですぐ死んだりしてます。さすがに私でもこのままでは良くないと思ってます。なので少しでもこの状況を打破すべく一ヶ月半ぶりくらいにブログを書いています。

 

出だしでやばいとか言いましたが、お察しの通り私は今自分が全然仕事してないことにあまり危機感を持ってはいません。宇宙の歴史からみれば私たち人間の生涯はあまりにも短く、その中の時間を仕事に使ってもボーマンダの素早さ調整に使っても正直何がどうなるというわけではありません。また人類史的な視点から見ても私の(そしておそらくはあなたの)従事している仕事は、基本的人権の人類全体への敷衍や気候変動への対策といった実存的危機の解決に何ら寄与するものではありません。

 

強いて言えば私とみなさんの仕事は「今ある世の中を回していく」ことに貢献しているという点では一定の意義があるかもしれません。確かに今ある世の中が存在しうる世の中の中で最も悪いものかと言われれば違うと思いますし(現に私はこうして仕事もそこそこにサンダーの性格はおくびょうがいいかひかえめがいいかなんて考えながらまあまあいい生活を送れていますしね)、それが崩壊しないように維持していくことは確かに大事です。

 

でもじゃあ実際のところ誰が世の中回してんねんと問われれば、それは決して私と私の同業者ではないです。まじで世のインフラを担ってくれてるのは、ゴミ収集車の人だったり、農家さんだったり、スーパーのレジ係さんだったり、コンビニの店員さんだったり、要は昨今のコロナ禍でエッセンシャルワーカーとかいってもてはやされた割に特に何の援助も立場の向上も得られなかった方々です。私とか私みたいな人たちが回しているのは、せいぜい企業がお金をあるところから別のところへと動かして泡銭を得るという仕組みだけです。

 

その仕組みが巡り巡って世の中を回してんだよという見方をする人もいると思います。でも実際それで世の中良くなってんのかというと、あんまり良くなってないんじゃないですかね。世界でも日本でも貧富の差は縮まらないし、日々の暮らしが良くなってるという実感も特にありません。あと自然科学に明るい人によればもうちょっとで人類ここ住めなくなるらしいじゃないですか。自分たちの活動のせいで。そして元を辿ればそれはどんどん資源使ってどんどんもの作ってどんどん売って稼ぐぞーという仕組みのせいですよね。そんな仕組みを続けることに意味など感じませんし、それを仕事を通して回すことに誇りなど持てません。

 

しかしながら私は一人でこの仕組みをぶっ壊せるほど根性もないし、仲間を率いて革命を起こせるほどカリスマもありません。そして人間である以上ものを食べないと死にますし、現状金がないと食べ物を手に入れられませんし、働かないと金がなくなるので仕事はしておきたいです。

 

ならばやることは一つです。形式的には会社員やりながら、ひたすらサボる。これしかありません。

 

サボることは社会的に(すなわち社会的なるものが企業的なるものと限りなく重複している今の日本においては企業的に)悪とされています。だからこそ人類を愛し世界の安寧を願う人はサボるべきなのです。資本とその法人格である企業の世界に対する際限ない侵食に対して、私でもあなたでも誰でも一人でできる確実な抵抗が、サボるという行為なのです。

 

サボるという言葉はフランス語のsabotageから由来しており、これは元々労働争議を指すための言葉でした。そして、争議の際に労働者たちがストライキを実行して仕事を放棄したり、あるいは業務を意図的に間違えて会社をめちゃくちゃにしたりする様子から、英語のsabotage、すなわち破壊的な工作という言葉が生まれました。このように、サボるという行為は労働からの逃走であると同時に、その語源からして闘争的な性格を持つのです。

 

むろんsabotageとサボることには距離があります。sabotageは明確な政治的目的のために(ほとんどの場合は)組織的な計画に基づいて行われますが、サボるのは自分のために一人で勝手にやるものです。しかし資本に対する抵抗という意味では両者は確かに同様の性格を持ちます。そしてストライキ等を通して労働条件が向上するのは長い時間がかかりますが、サボってしまえばワークライフバランスは即座に改善されます。資本に対抗する手段として、仕事をサボることほど実践的な行為はないでしょう。

 

何より、サボることによって手に入れた時間(この表現もおかしいですよね、元々自分の時間を会社に売っていただけなのに)は自分だけのもので、自分の好きなように使うことができます。自分の人生を楽しむために使うことができます。

 

むろん先述のように膨大な宇宙の歴史から見れば塵にも満たない自分の人生ですが、それでもせっかく生まれてきたからには楽しいことをたくさんしたいですよね。死ぬ前に見たいYouTubeの動画、読みたい漫画、聴きたい曲。どれも数えきれません。それを毎日9時-17時の間我慢しながら生きるか、それとも仕事に使う時間を削るか。これまでの話を踏まえれば、答えは明らかではないでしょうか。

 

サボることは労働からの逃走であるとともに労働に対する闘争です。それは資本への抵抗である以上人類史的に正しい方向への一歩であるとともに、何より自分自身のためになる行為です。この文章を読んで、明日からサボろうと思えた人が一人でもいたならば、私はとても幸せです。

 

そして、もしも「じゃあ仕事サボって何するの?」と聞かれたら、私はこう答えます。

 

ハロプロ聴こうよ。

 

https://youtu.be/njCe2i91kWo