この世界の平和を本気で願ってるブログ

この世界の平和を本気で願ってるブログ

休職のすゝめと、スマイレージ「〇〇 がんばらなくてもええねんで!!」(2010年)の話

最近みなさんにおすすめしたいことは休職です。いや多分情報強者の方々はもうしてるんでしょうけど特に私くらいの年齢・ポジションの方(20代後半、正社員、入社3~5年目)で特に出世欲のない人はマジで一回やった方がいいです(*1)。

休職の何が良いかというと、まずめちゃめちゃ暇になります。暇ってマジで最高ですよね。もちろんゲームやら音楽やら映画やら読書やら好きなことをできるって言うのもそうなんですけど、そもそもやることがないという状態そのものが最高だと思います。真っ白な人生を、してもしなくても良いようなことばかりして過ごしたくはないですか皆さん???

仕事してる時は業後とか土日に楽しいことをしなければいけない、何もないとくそつまらないなと私も思っていたのですが、仕事をしないでぼーっと毎日を過ごしていると、これが意外とイケるんです。これってつまり、仕事をしていることによって、仕事以外の時間が労働力を再生産する時間に成り下がっていたのが、仕事が日々から取り除かれたことによって、時間が所与の目的から解放され、真に自由に使えることになったことの証左ですよね?つまり仕事さえなくなれば人生万々歳ですよね?

とはいえ仕事やめるのはハードル高いです。そこで休職です(*2)。職場にもよると思いますが、最長で6ヶ月くらいは休めて、しかも給料の何割か(場合によっては全額)もらえます。しかも通院と服薬をちゃんとしてれば職場に復帰できます。

結局職場に復帰するんじゃん、と思ったかもしれませんが、休職のメリットはちょうど遊戯王残存効果のように復帰後も持続します(*3)。簡単に言うと「だるいことバリア」 が発動して、いやなプロジェクトやら業務から外れることができて、残業制限もついて、めちゃめちゃ快適な労働環境を手に入れることができます。←今ココ

そんなわけで、このブログは上述の経緯と、コロナ禍による1)リモートワークへの移行と2)仕事のなさによって、完全に暇を持て余したので始めました。できるだけ面白いことを書きたいと思っているのでよろしくお願いします。

なお、なんか縛りは設けた方が逆にブログ続けやすいのかなって思うので毎回ハロプロの話しようと思います。ハロプロで休職と言えばやっぱスマイレージの「〇〇 がんばらなくてもええねんで!!」(2010年)ですね。

 

www.youtube.com

 

この曲は大きく分けて3通りに解釈ができると思ってます。1つ目は単純に、疲れまくってる人に、がんばらなくてもええねんで、休んでええねんでって言ってる、という解釈です。これはまあ読んで字の如くですが、疲れた身には染み入ります。また、こういう手の曲には珍しく、曲調もアップビートのスカで、歌い方も福田花音女史の「いぇんいぇんいぇんいぇん」のように粘っこくリズムを刻んでいるので、全然湿っぽくならないのが良いですよね。

2つ目は、タイトルの「〇〇」のところに日本そのものを置いて、いろいろ言われてるけど気にせんでええで、そのままでええでって言ってる、という解釈です。この解釈の中心的な根拠になるのは、1番の「自分だけ最悪じゃないねんで/後悔ばっかしてても進まんで/努力は皆認めてまんで/今のまんまでLET'S GO」という歌詞です。

高度経済成長期、バブル期を経て失われた何十年かの真っ只中にいる今、悲観論と日本スゴイ論がないまぜになっている、統失患者の脳内のような日本の言論状況の中で、いわゆる左派と右派はどちらも日本の現状を高く評価していないという点で一致しているように見えます。かような状況にあって、つんくが「そんなことしてても日本はよくならない、みんな今の日本をもうちょっと好きになって一緒に生きて行こう」という一見ゆるーいナショナリズムアイドルソングに仮託して発信するのは、つんくナショナリストとしての側面を考えれば自然であると考えます。

ただし、こうした一見穏健なナショナリズムも1)ネーションとしての日本と政体としての日本を同一視し、2)どちらへの批判も封じ込め、その帰結として3)ネーションにおけるマジョリティと、日本政治における保守勢力の立場を強化する効果を持つと言う点で、より明示的に排外主義的で歴史修正主義的なナショナリズムと同様に拒絶・批判されるべきです。つんくの楽曲や詞のファンであるからこそ、彼のこうした側面は注視していきたいと思います。(*4)

それとは対照的に、私がまだ救いようがあると思うのは3つ目の解釈、すなわち、「〇〇がんばらなくてもええねんで!!」が脱成長(より正確には、脱GDP至上主義)を訴えているというものです。この解釈の根拠になるのは、ラストのサビの歌詞、「がんばり過ぎちゃったねお兄さん/がんばり過ぎちゃったねお姉さん/美味しいもんでも食べましょう!/日本を素敵なスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルで飾ろうよ!」です。

頑張り過ぎちゃった日本のお兄さんお姉さんに対して、つんく(というかあやちょゆううかりんさきちぃまろ)は「労働生産性を高めよう」とか「諦めずに中国を追い抜き返そう」ではなく、「美味しいもんでも食べましょう!」声をかけています。これは経済力のデカさを争う競争から降りて、これまでの経済的な発展の結果として手に入れたものをもっと楽しもうという呼びかけなわけです。裏を返せば、経済成長それ自体が目的化していて、国民の幸せが置き去りにされてないか?という指摘にも読めます。

経済成長の自己目的化の滑稽さについてはつんくに同意しますが、その他の歌詞では結構トンデモな現状認識が伺えます(1番サビの「愛情に飢えてる私たち」とか、2番サビの「ぬくもりに飢えてる私たち」とか)。また、1番サビの最後で「老後がわからん時代でも」と言っておきながら、「みんなで素敵なスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルスマイルでいきましょう!」と続けるのはまじで理不尽すぎて笑えてきますね。

つんくは基本ハイパーポジティブ人間なので、このように日本の問題は愛情とかぬくもりとかスマイルで解決できると思っています(あるいは、少なくともこの当時はそう思っていました)。この信念は素敵なものですが間違っています。現実に生きている私たちは愛情ではなく福祉に飢えています。また老後がわからん時代に必要なのもスマイルではなく福祉です。富の再分配をより公正に行うことでしか日本はより良くなりません。

経済成長はそれ自体が絶対的な善なのではなく、日本に生きる全ての人々の健康で文化的な最低限度の生活が実質的に保障されるために必要である限りにおいてのみ肯定されます。GDPの大きさで世界第3位をキープしたり2位を必死に目指したりすることに意味はなく、この国で生活する人々の福利厚生がちゃんと担保されるのであれば、人口の自然な減少に応じて経済の規模が縮小するのは問題ありません。そう言う意味で「がんばらなくてもええねんで!!」という社会的な合意を形成することが日本の左派の喫緊の課題と言えるのではないでしょうか。

 

脚注

(*1)契約社員やパート・アルバイトなどの非正規社員の方も休職制度を利用できるのかどうか気になったので調べてみたところ、このリンクが結構簡潔でよかったです。また、残念ながら、オートバックスでバイトをしていた男性が同僚の正社員から嫌がらせを受けて不安障害を発症したにもかかわらず、休職を認められず解雇されたという事例が近年あったそうです。この男性は解雇を不当として2019年に裁判を起こしており、結果が待たれるところですが、非正規社員にも休職規定を適用すべきとする判決が下されることを願って止みません。

(*2)今更な話ですが、当然休職はしたいといってすぐできるというものではありません。皆さんの会社の人事規定にもよると思いますが、大体は心身の健康が損なわれることにより業務の遂行が困難と認められなければ休職はできません。私の場合はいろいろあってうつ状態になっちゃったのでお医者さんに診断書出してもらって休職発動、カードを一枚伏せて2019年終了しました。なお今はめっちゃ元気です。

(*3)そもそも休職できるかどうかも雇用形態によりますが、休職後の扱いについても会社によってはこの限りではありません。くそな会社にいる人は復職後に嫌がらせを受ける可能性も否定できないので、何かあった時は休職するのか、それとも思い切って逃げるのか、どちらがよりよいムーブなのかをよく考えておくのが良いかと思います。そもそも労働がくそなので早く誰も仕事をしなくて良い世界を作りたいと思っていますが、当分はそうならなさそうなので少なくともすべての働く人が今より多くの権利を実質的に行使できるようにしていきたいですね。

(*4)こう書くとつんくのアンチっぽく聞こえてしまうかもしれませんが、私はつんくの楽曲や詞については全体として肯定的な評価をしていて、かつ彼のプロデューサーとしての采配や姿勢についても知りうる限りにおいては好意的な印象を持っています。